天神一丁目の見送りは、大坂夏の陣でした。
表の「大坂冬の陣」と対を為す形です。
飾り山の見所は色々ありますが、表題もその一つです。
承天禅寺の山門前に、15日早朝に行われる追い山の三つ目の精道があります。 博多祇園山笠は神事ですが、最後まで皆無事で恙無く神事が執り行われるように、仏門の方々も祈っておられます。
小学生の頃に母に連れられて、初めて走る飾り山を観ました。 それが博多祇園山笠との出会いでしたが、水をかけながら商店街を駆け抜ける曳山に子供心に恐怖心を覚えてしまい、長年、博多にも山笠にも近寄る事が出来ませんでした。
飾り山を観て歩いて、写真を撮るようになったのは、東日本大震災の後です。 震災の直後に行われるはずだった九州新幹線全線開業のお祝いは取りやめになりましたが、その年の夏の山笠は行われました。
あの大震災は何だったのか?
そして神事とは何か?
十五番山笠の見送りは大坂夏の陣ですが、奇数番の飾り山のテーマは大半が戦いです。
人間の歴史は戦いの歴史であり、多くの命が失われました。 時代とともに戦いの形は変わりましたが、今でも多くの命が失われていることに変わりありません。
博多祇園山笠は鎮魂祭と思い至ったのは、近年になってからでした。
気づかせてくれたのは、あの東日本大震災です。
戦いは今も続いている。 だからこそ祇園さんの鎮魂の儀式が今でも続いているのだと。
飾り山は真夏のクリスマス・ツリーのようでもあり、曳山は日本のメルカバのようでもあります。 火を吹く戦車が町中を走り回るのならば、沿道の住民が水をかけるのは当たり前です。
日本人の祭りのルーツはかなり古いように感じます。
浮かれるだけの夏じゃない事を再認識させてくれるのが、博多祇園山笠です。