ボストンの思い出は5月のガーデン・ウェディング

アルバムに貼った古い写真を整理しています。
iPhone5のカメラは大のお気に入りで、今はスマホでデジタル写真しか撮りませんが、10年ほど前まではインスタントカメラで写真を撮っていました。

ガラケーやスマホで撮った写真は、iPhotoで管理してきたので劣化しませんが、20年ほどの写真はナカバヤシのフエルアルバムにべったり貼ってあったりするので、少々傷みかけています。 2年ほど前に、複合プリンターのスキャナーで一部はデジタル化しました。

ネガは手つかずのままだったので、今月はとうとうヤシカのフィルム・スキャナーを買いました。 最初にスキャンしたのは、長崎の平和公園と大浦天主堂の白いマリア様でした。

古い写真を手に取ってみると、色んな思い出が蘇ってきます。

12年前の5月はボストンに飛んでいました。
ウィスコンシンでお世話になったホスト・ファミリーの末息子の結婚式に参列するためでした。
ちょっと変わっていましたが、それはそれは素敵なガーデン・ウェディングでした。

新郎新婦の家族、友人、親戚が、日本からは2名、イギリスからも2名、後は米国内から集いました。
宿泊はみんな同じホテル、あの天国のようなフカフカのベッドで有名なウェスティンでした。

宗教の違うカップルだったので、前日のリハーサルディナーから始まって、当日の結婚式、ダンス、ディナーと、気合いの入ったドラマが繰り広げられました。

人生はドラマ。 幸せは創り出すもの。

着物は私1人だけでした。 圏外で済みましたから、つくづく日本から着物を持って行って良かったと実感した結婚式でした。

結婚式の翌日は、ホストファミリーの旧知の友人夫妻の車に乗せてもらってボストン観光。
世界史の教科書にも出てくる、ボストン・ティー・パーティーのあった場所ですから、あの記念碑の前で写真を撮ってもらいました。

Paul Revere
Paul Revere

ポール・リビアの像の前で、12年前の私は微笑んでいます。
幸せ作りの手を抜かない人達から元氣をもらった、麗しの5月でした。

ボストンのポール・リビアの記念像の前で、2001年5月
ボストンのポール・リビアの記念像の前で、2001年5月

最近は5月になると、近くのバラ園に出かけます。
芳しいバラの花から元氣をもらう5月です。

もうすぐ義理の祖母の一周忌です。
今日は伯父宅の庭に咲いていたピンクのシャクヤクの花を玄関に飾って来ました。
そろそろ義理の祖母を偲んでお客様のいらっしゃる頃です。

セレンディップは何処にある?

ーピンクの花が咲くところ。

「京都は日本のボストン。」なのだそうですが、今年は九州国立博物館で「ボストン美術館 日本美術の至宝」を観ました。 3月に、あの龍の屏風絵と対面してきましたが、何かが復活したように感じた春でした。

麗しの5月は、寂しさの募る時でもあります。
ボストンマラソンの爆発事故で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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