令和でシュールな九州国立博物館

平成最後の金曜日は九州国立博物館まで足を延ばしました。

お目当ては三階の特別展です。

今回の「京都大報恩寺快慶・定慶のみほとけ」は、前回よりも短い時間で観て回ることが出来たので、令和関連の展示がある四階に上がってみました。

九博の令和関連展示の案内板

天平2年(西暦730年)に大伴旅人が催した梅花の園で令和ブームの太宰府なんですが、同じ令和でも九博は一味違う!

昭和な私は、中学時代の美術の時間に習った明朝体の令よりも、国語の時間に習ったマのついた楷書体の方が落ち着きます。

それにしても元氣な和です。

尋ねてみたら、現館長さんの筆だそうです。

3階にあった案内板は写真撮影できたので、和の左上にチョコンと押されていた落款を拡大して確認。

九博館長さんの落款

四階の文化交流展示室には何カ所かに分けて令和関連の展示がありました。

江戸時代の万葉集巻五も展示されていました。

原点は奈良時代の万葉集です。

明朝体の令ではなくて、マの方です。

基本的に展示室内は写真撮影ができません。

展示室外の展示を写真に撮りました。

旅人はますらお?

ますらお 丈夫 益荒男 大夫

現代の私達は漢字仮名混じり文を使いますが、それにしてもATOKですら、いろんな「ますらお」がありますから、漢字の世界は七変化です。

旅人の歌

展示室内では、令和関連の展示の近くに配布資料が置かれた小さいテーブルがありました。 その中に梅花の歌三十二首と序文の現代語が書かれたA4サイズの2枚組があったので、いただいて来ました。

A4二枚の令和

写真では見えませんが、序文の現代語訳が書かれた面に写っている大伴旅人の格好をしている白いおひげの男性は、多分、館長さんでしょう。

A3サイズの資料も頂戴しました。 その中に大伴氏の年表があるのですが、大伴旅人は梅花の宴を催した730年に平城京に戻っています。 そして、その翌年に他界しています。

730年は旅人にとって大きな変化があった年だと思われますが、新元号記念特別企画「令和」出品目録に載っていない面白い展示が、第6室にありました。

大般若経巻第五百二十七です。

天平二年(730年)のものですが、かなり古い巻物なので経年劣化が見て取れます。 検索したら、文化遺産オンラインに画像がありました。

気になったのは、大般若経の右横に置いてあった五月一日経です。

光明皇后の願文が天平十二年(740年)の五月一日となっているので、そう呼ばれているそうですが、願文ではたった十年しか違わない巻物なのに、左に置かれた大般若経のように傷んでいません。

ボランティアガイドさんに、

「本物ですか?」

と尋ねてしまいました。

所蔵は九州国立博物館でした。

文化遺産オンラインにある五月一日経は京都国立博物館所蔵のもので、かなり傷んでいます。

「保存状態だけで、こんなに違うものだろうか?」

素朴な疑問が湧きました。

場所は太宰府です。

鷽替え神事のある天満宮のお膝元です。

考えても時間の無駄。

九博では王羲之の特別展も観ました。

王羲之が353年に催したと言われる曲水の宴の序文の蘭亭序も観ていますが、王羲之の書を真似て作られた物もたくさん見ました。

「原本がなくても伝わるモノは伝わる」と言う事も、一応理解できました。

私が見つけたのは、亡父母である藤原不比等と県犬養三千代の冥福を祈る光明皇后の気持ちだったと思います。

西暦740年の彼女の願いが、2019年の今、九博の四階の片隅で、「五月一日経」として、形を留めている。

三階の特別展で観た仏像以上に、四階の文化交流展示室で観てしまった巻物に、とても驚いた平成最後の金曜日でした。

前回の特別展で観たクローン桜のアクリル標本並の衝撃でした。

九博の令和って、かなりシュールなんじゃない?

書いた以上は、今夜も安眠。

合掌。

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