醍醐寺展で観た平安時代十世紀の首

2月15日に醍醐寺展を鑑賞しました。

九州国立博物館の醍醐寺展

真言密教の宇宙です。

今回もぶろぐるぽに応募して、九州国立博物館から醍醐寺展の画像を提供していただきました。

昨年は天神地蔵の首が飛びました。

福岡天神のあの横断歩道を渡る度に気になっていた可愛いお地蔵さん。 このブログにも写真をアップしていましたから、少なからずショックを受けました。

修復されて復帰した天神地蔵の話をYouTubeのニュースで聴いて、天神まで出た際に自分の目でも確認して、ホッとして年を越しました。

お地蔵さんの首の事はすっかり忘れていたのです。

ところが、今年最初の九州国立博物館の特別展は「京都醍醐寺ー真言密教の宇宙」でした。

フライヤーやパンフレットに載っているのは、国宝の薬師如来。

太くて短い首を観ている内に可愛らしい天神地蔵を思い出してしまいました。

年明け早々に母が寝込みましたし、私の体力も落ちていました。 なかなか太宰府まで足を延ばす元氣が出ませんでしたが、2月15日は大安の金曜日。 夜の博物館で午後8時まで開いています。 大きなおにぎり2個とポットに入れた珈琲とお手製のクッキーを持って出掛けました。

一期一会。

6時間かけてエントランスの展示と3階の特別展と4階の特集展示を観ました。 沢山写真を撮りましたが、欲しかったのは心の平和です。

特別展の写真は撮れませんでしたから、九州国立博物館から提供していただいた画像を使って当日を振り返ります。

国宝の薬師如来および両脇侍像は醍醐寺展の出品目録では第1章なのですが、九州国立博物館の展示では最後のトリ。 音声ガイドリストでは終盤の25番です。

国宝の薬師如来像

当日は暗がりの中を出品目録に鉛筆で印をつけて確認しながら展示を見て行きましたが、あちこち飛んでいるので頭の中が爆発しそうでした。

後日、東京のサントリー美術館の醍醐寺展の映像をYouTubeで観ました。 国宝の薬師如来と日光菩薩と月光菩薩は同じなのですが、九博ではサントリー美術館で展示されなかった大檀具がありました。

九博の醍醐寺展

帝釈天騎象像と閻魔天騎牛像は両菩薩像の外側に展示されています。

展示。

私は展示されているモノを観ている筈。

国立博物館で特別展を観ている筈なのですが、何故かこの一画だけが異次元なのです。

今回の特別展の目玉の一つ、五大明王像が展示された部屋も凄いパワーでした。

九博の醍醐寺展の五大明王像

凄い目力です。

五大明王像の怒気に当てられたせいか、観ている内に何故か足が吊ってしまいました。 痛くて堪らないので、展示の右側に置かれていたベンチに座って靴を脱いで筋を延ばしました。

少し痛みが治まってから五大明王像を一体ずつ観ていきましたが、足が吊らなかったら、あの部屋に長居をしたいとは思いませんでした。

実は、この展示も変なのです。

パンフレットには、「国内随一の五大明王が揃い踏み」と記されているのに、何故か仲間はずれが一体。 水牛の背に乗った一番左の大威徳明王だけは足を上げています。

醍醐寺展の大威徳明王

大地を踏んでいるのはひょうきんな顔をした水牛であって、目のつり上がった大威徳明王ではありません。

実は大地を踏みしめているのは、五大明王像の中の水牛だけではありませんでした。 象もいたのです。

国宝の横には重要文化財の帝釈天騎象像がありました。

醍醐寺展の帝釈天騎象像

九博の特別展で騎象像を観るのは今回が初めてではありません。 既に変な足の形をした象さんを観ていますから、今回は象さんの短い鼻も足も気になりませんでした。

今回、特に気になったのは牛。

閻魔天騎牛像です。

閻魔天騎牛像

乗っているのは閻魔天。 尖った角からするとこの動物は水牛なのでしょうが、大威徳明王の水牛とは違って太宰府ではお馴染みの臥牛です。

閻魔天も落ち着いた形で乗っています。

ところが、左手に持っているモノが怖い。

すぐ横に立っている菩薩様と、この座っている閻魔天の違いは棒の先についているものの違いです。

閻魔天騎牛像

左手に持った棒の先についていたのは、首!

 

同じ五体でも、目のつり上がった五大明王像よりも、むしろ穏やかな表情の、薬師如来と日光菩薩と月光菩薩、帝釈天騎象像と閻魔天騎牛像の組み合わせの方が、私にはよっぽど怖く感じられました。

てっきり展示だと勘違いして、とんでもないモノを観てしまった。

それが率直な気持です。

今回の特別展で、何よりも違和感のあったのが、薬師如来の手前に置かれた大檀具でした。

醍醐寺展の大檀具

確かに密教法具の説明のパネルはありました。

こんなのあるよ!密教法具

サントリー美術館にできない事が九州国立博物館は出来る。

それはそれで凄いことなのでしょうが、密教法具は展示物として観るモノではないと思います。

日本文化は「秘すれば花。」なんだと思います。

今回の醍醐寺展を観るまで、気になっていたのは薬師如来の大きな首でした。 小首を傾げた可愛らしい如意輪観音像よりもよっぽど気になったのです。

でも、醍醐寺展を観た後で、やっぱり心に残ったのは失われた小さな首。

振り出しの天神地蔵に戻ったのです。

神人共食や直会も良いのでしょうが、やっぱりお酒はほどほどに。

あのクローン桜を観てしまいましたから、桜の季節を前に、このブログに2012年8月にアップした写真を思い出しました。

飲酒運転ゼロを目指す福岡市のモニュメント

天神地蔵は復活しましたが、福岡市の職員が起こした、あの飲酒運転事故で失われた幼い命は戻ってきません。

飲んだら乗るな。

飲んだら蹴るな。

醍醐寺展で観た平安時代十世紀の首からの学びです。

春のお彼岸を前に手を合わせています。

合掌。

 

 

 

 

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