昨夜の嵐で地盤が緩んだので、
今朝は近所でタケノコ掘りに精を出す人達をみました。
お天気は荒れ模様ですが、雲の切れ間が見えたので、九州国立博物館のバックヤードツアーに参加することにしました。
晴れたら屋外の免震構造が見せてもらえるので、運試しです。
山側は曇ってますが、海側は雲が切れてます。
ツアーは午後2時から。
新型コロナに背を押され、ブログも整理の令和かな
このところ、筑後平野の空がとても汚れていました。
大気汚染が続くと雨が降ります。
しょぼしょぼ雨が降って、少し空が晴れますが、
久しぶりに、雨上がりの超汚い空を見ました。
西から東に流れる雲です。
流れた先の東側の空をiPhone5で撮ると、青く写ります。
西側はこんな感じになります。
夕陽を浴びて、雲が金色に輝くので、
大気汚染が酷くなかった2007年の頃は
夕暮れ時に、とても綺麗な写真が撮れました。
夢中になって、アクオス携帯で空の写真を撮っていたら、
次第にとんでもない写真が撮れるようになりました。
ぞっとするような写真もあったので、大半は処分しました。
引き寄せの法則が流行った頃でしたので、
手放しの法則を実践していました。
大気汚染はますます酷くなります。
「楠を切ってしまえ。」
というのは、自殺行為です。
一体誰が、私達人間様のために酸素を供給してくれるのでしょうか?
マスクは根本的な解決になりませんから。
まだ雲が切れません。
どんどん西からやって来ます。
海風の吹く福岡市内よりも、風が吹かない
内陸の山間部の方が大気汚染の被害は深刻です。
昨日は一つ仕事が片付いたので、
太宰府天満宮にお礼参りに行きました。
初夏の飛梅です。
最初は福岡まで出るつもりでしたが、
西鉄電車の中で、何故か涙が出ました。
二日市で降りて、太宰府天満宮に足が向きました。
この楠を見た時に、理由がわかりまsた。
前日、楠の葉が沢山落ちていたので、見るに見かねて
近くに住む一人暮らしの伯父の家の前の道路の落葉掃きをしました。
楠の大木が生えている土地は、
地主さんも代替わりで都会暮らし。
放ったらかしなので、見るに見かねた伯父夫婦が
長年、道路の落ち葉掃きをしてきました。
難病で倒れた伯母は昨年の5月に他界して、
80才の伯父はヘルパーさんの支援を受けながら一人暮らしです。
道路の落葉掃きどころではなくなりました。
こどものない伯父夫婦からは可愛がってもらったので、
伯父が倒れた後は、家の片付けや落葉掃きもしましたが、
私にできる事も限界があります。
その通りを散歩道にしている近所の人は
「大変だから、地主さんに言って切ってもらえば良い。」
としか言いません。
自然があって、歩くだけでも気持ちが良いからこそ
散歩道として使っているのでしょうが、お掃除はしない。
他にも落葉が気になる場所はありますが、
誰もボランティアでお掃除をする人がいません。
明治神宮の参道を掃き清める人がいます。
歩いているだけで、心が清められるのは、
掃き清める人達の気持ちが伝わってくるからです。
集めた落葉を背負って自然に返す優しさが伝わってくるからです。
明治神宮は亡くなった人に出会う場所だからこそ、命を大切にしています。
参道や清庭(さにわ)は人工のものです。
道路もそうで、誰かがお掃除をして初めて綺麗になります。
今日は雨の土曜日です。
鶯の声が聞こえます。
このところ、大気汚染が続いていますから、
鶯も雨の日の方が、声の調子が良いようです。
天のお掃除は、天使がしてくれるんでしょう。
大気汚染が続いた後で、雨が降る度に、感謝しています。
楠は切らずに、落葉掃きをした方が、健康でいられます。
自然は私達の命を守っているのですから。
きれいな酸素を創り出してくれる木を切ってしまったら、
大気汚染の続く中で、私達の命もいずれ絶たれるでしょう。
私の流した涙は、楠の涙だったと思います。
スターバックス太宰府天満宮表参道店で
ほっこりしています。
スタバの旗艦店の一つなので、凝った作りです。
よく観光客が立ち止まって写真を撮っているお店です。
著名な建築家のデザインですが、誰だか分かりますか?